メディアと人と価値観や感性の相違

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ここ半年で民法全てに取材していただき、メディアの露出が増えたことで、たくさんの方にトイレットペーパー芯リサイクルアートを、わたしの活動を知っていただく機会を持つことができました。

とても感謝しております。ありがとうございます。

 

そして放送のたびに、たくさんのお問い合わせもいただきました。

お問い合わせの内容として、お仕事の依頼などは少なく…
ほとんどのお問い合わせは個人的な内容のものばかりでした。

どうやって作っているんですか?というご質問や、具体的な創作方法の質問など。
ワークショップをやっているのなら見学させてほしい、個人的にギャラリーのほうで作品を見せてほしい…などなど。

インターネット上では「今、流行りのトイレットペーパーの芯で作るアートをやってみた」という画像も見るようになったようで、それを数人の友人から教えてもらい「流行ってんの?」と聞かれました(笑

 

わたしは「感動を共感しあい意識や価値観を共有しあう」ということをコンセプトにしているのですが、共有というのは「わたしが創作をしているなかで見つけた本当の価値観」だったり「継続的に行うべき価値観を伝える」ことです。

それらはやはり、テレビだけでは伝わりにくく、作品を見ていただくだけでは伝えられないので、それを歯がゆく思っています。

 

作品を見て感動してくださった後、その感動を持ち帰り、わたしの価値観をご自分の価値観として置き換えることで共感し、それらを生活の中で継続的に意識し、続けることでさらにほかの誰かと共有することになり、それが繋がっていく。

リサイクルすることに目を向けるだけではなくて、リサイクルしなくてもよいようにすること、今あるものを見直すこと、新しいもののあり方を考えること。

わたしがトイレットペーパーの芯でアート創作を行おうと思ったその理由の根本にあるもの。

 

わたしは表現者として何かを伝えたいと思っていましたが、モノも娯楽もアートもなんでも世の中にはもうたくさんあって、わたしは本格的にやりたいと思えるものや、やる理由を見つけられないでいました。

趣味でやるにしても、新しいモノを使って新しいモノを作り出す、そういうことに矛盾も感じていました。
新しいモノを生み出しても、たくさんのモノのなかに埋もれていってしまうほど、どこに行ってもそれらはあって、それらに埋もれ、たくさんのものを所有して生きていく。

そういうことに疑問も感じていました。
たくさんのモノを所有して、それを元に表現したとしても、一時的に心は豊かになるけれど、また何かを求めはじめる。

モノを所有することで安心すると、より新しいモノ、珍しいもの、安くて使いやすいものなどを求め続け、不安や不満をモノで埋めていく。

今も十分必要なものはあって満たされているのに。むしろ必要以上にモノを持っているのに。

いろんなことが選択できて、自由だからこそ、不自由な世の中になったなと思う。
たくさんのモノを所持し、たくさんの情報を共有できるようになったのに、人の心は満たされていない気がするから。

モノを所有することだけでは、豊かにならないし、心は満たされないということ。
ずっと使えるもの、高価であっても価値があり持つべきものを選択するということ。
今あるものに価値を見いだせる価値観や想像力を持つこと。

 

何だか長くわかりづらい文章で書いてしまいましたが…

トイレットペーパーの芯は手軽に手に入るしタダだから、わたしにも作れそうだからやってみよう、という感動や好奇心のその先にあることを、きちんと伝えたい、伝えなければと思っています。

 

アーティストとして活動してきた中で、表現者としてアートを通じて何をすべきか、何を伝えるべきか、ということに重きを置きながら、これからも活動していきたいと思います。