修復という創作

 今年に入ってからは、年始の展示に向けて、作品の修復を行っていた。

 トイレットペーパーの芯は種類によって質感がそれぞれ違う。それらをグルーガンで繋いでいるのだが、経年劣化が起こり剥がれてしまうのだ。
 ものによってその劣化の速度は違い、原因は重力だったり湿度だったりするが、展示の状態によっても大きく変わる。次の展示の状態を考えて、それに合った状態に修復するのだ。だいたいは元の姿に戻すための修復ではなく、補強の意味が強い作業になり、それも状態を見て判断する。

 リサイクルアートとして「ゴミを出さない」という決まりごとのなかで創作を続ける以上、むやみに破棄することはできない。

 実に地味で面白いとはいえない作業だが、作品は扱っていると生き物のように思えてくるときがある。
 それはとても不気味な感情に似ていて、わたしがちょっと目を離しているすきに、おごめくような気さえする。

 作り出した時に命を与えたとして、その命は少しずつ成長し、年老いていく。年老いた命はただ、すすけるのではなく、時間と空気を吸収して育っていく。
 わたしはその命が、少しでも永らえるようにと、手を貸し続ける。そしてあるところで、最後を看取るのだ。

 少しずつ形を変えていく作品たちには、そういう理由がある。